やじろぐ7

40代半ばの妻子持ちがゲームしながら解脱を目指すブログ

悩みが人を老化させていると思う。

人の悩みは尽きぬもの…。

昔もらった本です。
また読む事にしました。
人類の英知を学ぼう。

第四版第二十五刷って書いてある。
昭和63年て。

第一版一刷は昭和34年て書いてある…。
人の英知は引き継がれないといけないなと思います。

たぶん僕にこの本をくれた人も、この本読んだと思うんです。
悩み多き人生だったと思うし。
きっと何度も読んだんだろうね…。

ありがとうございます。

陳平

昨日の日記で「勇気の要る一本の電話ができなかった」と言いましたが。
別に怒られる内容でも何でもなかったんですよ。
ただ、相手の期待に応えられないから断る、それだけの内容です。
しかも実は割と軽い内容です。

でもできなかったんです。
いい顔しいなんです。

マスコミという名のいじめっ子が、新たないじめの標的を見つけたらしい。

今度は復興担当大臣だってさ。

大事なの人格云々じゃねーからマジで。少しは大事だけど、もっと大事な事いっぱいだから。
何で歴史に学ばないの。

人の好き嫌いしてる場合じゃないし。

劉邦と陳平の例を見ろバカが。
今の復興担当大臣が有能かどうかは知らないよ?
焦点がボケてるって言ってんだ。

この話題本当に不愉快だ。

今日はめでたい日でして。

それに関連してネット通販であるものを買ったんです。

昨日の朝に注文したら、今日の夕方帰宅したらもう既に届いてました。
すごいわ…。

実際にお店に出向く手間がすごく省けるのです。安いし。
でも地元にお金を落とせないジレンマもありますね。

Twitterやっぱ時間泥棒だなーとしみじみ。

大事な事に時間を使おう。

Skypeでイラッ

何度言っても唐突にビデオ通話かけてくる相手に今夜もイラッ。

Skypeで通話する時ってその時にWebカメラとマイクをわざわざ接続してるのよね。
かけてくる前にメッセージ一言送ってくれれば準備するのに。

「ボイスおk?」って来たら準備して「おk」って返事する(もしくは通話をかける)
これだけ。これだけですよ。その一言があるか無いかだけで全然違うというのに。

結局一度拒否して、メッセージで罵倒説教して、準備して、こっちがかける。
この数年、通話する度に同じ事繰り返させてんじゃないよ。

しかもかけたら相手の準備に不備があって声が聞こえないとかイライラして。

電話という暴力

電話って、かける側の都合でかけるんですよ。
基本的に受ける側の都合は考えられていない仕組みなんです。

寝てるかもしれないし、静かに集中しているかもしれないし。
誰かと取り込み中かもしれないし。

そこに乱暴に割り込んでくるわけ。
時間をいきなり奪うわけ。

ここまで電話というものが一般的になって進化したのに
ここの部分は、変わらない。

考えてみれば自分がいい生活をするのなら、他の誰かに自分の時間を奪わせてはいけませんよ。
電話という、遠くの人と通話できる技術そのものは計り知れない効率を生み出しますが、
そのインフラを前提に生活しているのなら、更に上の効率を考えなければいけません。

Skypeが変える電話の在り方

Skypeに限らずインターネットを利用した通話サービス全般ですが。
相手の状態がわかる事は大きな特徴です。

オンラインになってたら、少なくとも外出はしていない事はわかりますよね。
テキストメッセージを織り交ぜて、通話をしないまま用件が済むかもしれません。

もちろんグループ通話やビデオ通話も素晴らしい技術ですが、
僕はこの「通話前に相手の状態がわかる」を第一のメリットに挙げたいですね。

電話は、受ける側の都合は考えられてないと言うと
5年以上前は「じゃあ、電話する前に、電話していい?って確認の電話すればいいのか」と
冗談のようなことを言われてました。

今は冗談ではなく、それができるようになっています。
何で活用しねえんだよくそ。

常識を押し付けるわけじゃない。そうしてくれと何度も何度もお願いしているのに
それを忘れて、しかも自分も同じ非効率を味わっているその向上の無さが腹が立つんだよ。

ところで今日、勇気の必要な一本の電話ができませんでした。

実は僕は電話が好きじゃないんだなと今日は思い知りました。

ある電話をする必要があったんです。昨日から。
しかし勇気が出ず、だらだらだらだらと、しませんでした。
怖かったんです。やってしまえば何という事もない3分で終わる電話です。

しかし、結局、できませんでした。

「きっと今かけたら相手も困るだろう。相手の都合を考えて◯時ごろしよう」
という逃げの思考を数回しました。知らないっつうの。かけろっつうの。

苦手です。電話。
結局電話はせず。直接相手の自宅を訪問しました。3分で終わりました。

ある、僕がお客として利用させてもらっているお店があります。
ここのお店はたまーに電話をくれるんです(ちゃんとした用件があってです)。
しかし、いつも僕が出られない時にかけてくるんです。
この5年間、担当者が2度代わるも、必ず不在着信なんです。

不在着信があって、留守番電話があって、かけ直して、担当者がたまたまいなくて。
再度電話をもらって。バカじゃねえの。

間が悪いんです。リズムが合わないのかも。
PCにメールをくださいって言っています。事実それでうまくいっている(つもり)。

電話が苦手なら、無理にそれを克服しようとは思わない。

ウィルコムだれとでも定額欲しがってなかったっけ俺
必ずマメにチェックしていて、ずっと変わらないメールアドレスを持って、
そのアドレスに来たメールは責任を持って対処するという信頼を得る事が大切です。

アドレスどこそこで出してますけどね。
一人も送ってきませんけど。

メールじゃなくてもいい。

SNSでもいい。電話以上に信頼できる窓口が浸透すればそれでいいんです。
ただ僕はメールが大好きですけど。Google+GoogleAppsのアカウントと連動しないのは
かなりショックでした。


今のiPhoneの電話番号は好きですよ。
電話番号を気に入るってのも変な感じですけど、愛着があったりします。
この番号教えるのも好きです。電話来たら面倒くさいけど。

iPhone3GS、しょっちゅう圏外になってます。自宅でもどこでも。
無線LANあるとこなら別にそれでもいいやという感覚。電話は繋がらなくてもよくね。

だらだら日記

たいてい、テーマを絞れずに日記書く時は盛大に酔っ払ってる時です。

やるべき事を全部終わらせないうちは新しい事は始めないと誓った6月

始めても身につかないんです。
それは、ずっと抱えていた事をそのままにしていたからだと俺は悟ったよ。

Thingsっての買ったんです。iPhoneアプリの。
正直言って「これスゲー!」みたいな感じのインパクトは無かったんですが
使っているうちに少しずつ馴染んできて手放せなくなる…という魅力があった。

それに結構いろんな事をぶち込んでいます。

抱えていただけあって勇気出さないと終わらない事が多いけど、今のところ頑張れてる。

バドミントンした。

有酸素運動をしたかったのに。

次のパソコンはMacにしようかなあと悩む。

iPhone/iPadを使って気に入ってMacにする人は多そうな感じ。
僕もそんな感じでMacにしようかなと思っていたりして。

WindowsPCを何台も使いましたけど、本当に愛用って感じのは少なかった。
こき使ってやるみたいな。自分と道具が主従であってパートナーじゃない感じなの。

僕もiPhoneすごく気に入って。

ユーザーじゃない人は勘違いするかもしれませんが、「自分の」iPhoneを愛してるんですよ。
他人のiPhoneはどうでもいいんです。
自分だけの愛用品として磨かれたから本当に愛着が湧くし。

Macも、そんな風に愛せますか?

今日は友の誕生日だった。

mixiメッセージを送ってみた。おめでとさん!

mixiの名前表示について暴言吐いてみる。

勝手に出会い系と勘違いして登録してあれこれやって勝手に疲れてる奴らマジで頭悪い。
なにが匿名だよ…。

Facebook「知り合いかも」の変化を見た。

前回

Facebookの「知り合いかも」を検証すべく
新規に作ったアカウントで、他の人が全く何も手を出せない状態にして、
自分も何もアクションをせず「知り合いかも」だけをチェックするアカウントの続報です。

間違えて他人のプロフィールを踏んでしまいました。

自分がログイン状態だと気づかずについ…。

知っている人の知人の名前だったのですが、同姓同名の全く別人のアカウントでした。
なんてことなの。汚れてしまったわ。


さて、それが昨日の話。
もう楽しみで楽しみで。珍しく連日ログインをして「知り合いかも」を見てみました。

あらやだ急に知らない顔・名前が激増しているじゃないの。

唐突に「知り合いかも」の雰囲気が変わりました。
3割くらいは入れ替わった感じでしょうか。

顔と名前をハッキリ出している人たちばかり増えています。
いずれも知らない人たちです。

普通に考えてプロフィールを閲覧した記録が残っていてその情報が参照されたのでしょう。

だが、しかし!

僕がプロフィールを踏んでしまったその当人が「知り合いかも」に登場しないのです。

「プロフィールを見る」は、逆に「知り合いかも」から遠ざかる?

プロフィールを閲覧して、それでいてメッセージを送らない、Frend申請をしない、
Pokeをしない(コレまだある機能ですか?)ということはむしろ知らない他人だという
判定になったりするんでしょうか。

でも、そうだとすると今まで僕の「知り合いかも」に登場していて上位に固定されている人たちが
どうしてそこに載り続けるのか説明がつかなくなってしまいます…。
ちなみに今回新しい顔は増えましたが、上位はほとんど変わっていません。

となると、何度もプロフィールを踏んだら「知り合いかも」に出てくる?

それとも踏んだ相手は出てこない? 踏まれたら出てくる?
たぶん僕が今回踏んでしまった人が全く何もFacebookで活動しない人だとしたら、
彼女の「知り合いかも」に僕が出てくるでしょう。

謎が多いなあ。

しかしハッキリ確信した事もある。

「プロフィールを踏む」これは確実に「知り合いかも」に影響している。


…もう少し放置してみようと言いたいところなのですが、
少し変化をつけてみようかと思います。

名前が実はアルファベットのままだったので、しばらくしたら漢字も併記してみようかと。

あと、プロフィールに、知り合いが見たら確実に僕だとわかるような事を書こうかと。
これが難しい。例えば居住地を書いたらたぶん参照される。偏ります。血液型。偏ります。
年齢。偏ります。

絞り込む事を書きたくないんですよ。これはちょっと悩みますね!

隣のキチガイ

僕のうちのご近所さんはいい人たちばっかりです。
なのでこれは例えの話です。

隣にキチガイがいたら、それなりの不安と構えをして生活するでしょうね。
たぶん僕もそう。

でもそんな時は、隣のキチガイも、自分の隣にいる僕をキチガイだと思って
不安と構えをしているかもしれない。
人の見方なんて相手の立場にはなかなかなれないもの。

隣にいる奴はキチガイだから、何をしでかすかわからない。牽制しとかないと。
普通はそう思う。

争いがそこで起こってくる。

この誤解は話し合いで解けるんだろうか?
話し合いをして
「いや、うちも別に何かしたいわけじゃないけど、おたくの方が何かしようとしてるんでしょ?
そう思ってるからこっちもやってるんだけど」
「いやいや、そっちこそ…」

そんな感じになりそう。

「じゃあ、うちはおたくに何もしないから。もうやめるから。
だからおたくもやめよう。もう何も無しで」
「うん、いいよ」

こんな和解もあるかもしれない。

でも結局「ああ約束したけど信用できないな…何しろ隣はキチガイだから
約束なんか平気で破って何かしてくるだろう。合理的に考えて」とか思って
互いを信用できずに、構えちゃう。

そんなに難しい話じゃないのに、当人同士はどうしようもないのです。
何しろお互いキチガイなんだから。


…こんな感じだよね。国際紛争って。

Google+というのが発表されたらしい。

ITMediaさんの記事を拝借しました。

他社の得意分野に殴りこみをかけてボコボコにされるのが好きなGoogleさん。
機能は高いのにインターフェースやデザインで大損しているGoogleさん。
そんなGoogleさんけっこう好きです。

SNSプロジェクトですかあ。
そう来るとは思ってもいなかったのです。まだあきらめてなかったんだ。
いや、これからのWeb戦略にはどうしてもプラットフォームを固める事が必要なのでしょう。

招待申請してみました。
そのためだけにGmailのアドレスを新たに取得しました…。
ハンドルネームじゃないGmailアドレス欲しかったんです。

普段使っているのはGoogleAppsだったのでー。
GoogleAppsGoogleプロフィール使えませんもんね。サービスの性質上仕方がない。
新たなるGmailも併用していくのです。

どんな感じかな。楽しみです。